日本交通/互助交通/トヨタ・JPNタクシー 2022年10月撮影
日本交通傘下のワイエム交通に事業譲渡し、タクシー事業から撤退した互助交通。
有限会社・互助交通としての法人は現在も存続しているようですが、タクシー会社としての互助交通はチェッカーキャブから日本交通に切り替わり、更に日産車しか居なかった同社も今ではJPNタクシーに置き換わっています。
砂町にも営業所を構えていましたが、砂町の営業所は閉鎖されてしまったとのことで……。既に互助交通が日本交通になってから1年が経過したのだと思うと時間が経ったのを感じます。
チェッカーキャブ時代の同社は地域密着型の印象が強く、城東地域はもちろんの事、同社が営業所を構える錦糸町駅のロータリーや江東区内でよく見かけたものですが、日本交通となった事で営業区域を変えたのか、あまり営業所近辺では見かけないんですよね。同社の営業所は京葉道路の目と鼻の先ですし、おそらく都心や城西、城南で営業しているのだと思いますが。
それにしても日本交通で車庫表記が「墨田」を見る時代が来るとは思いませんでした。大手4社で車庫表記が「墨田」は帝都自動車とkm業務提携事業者くらいのものでしたから。
そういえば、東京合同自動車がチェッカーキャブを脱退し、日本交通と業務提携するという話があり、事実、同社のJPNタクシーから市松帯が外されているようですが、どうなるんでしょう?
(2023/4/1追記)
今年の2月末に社名を「ハロートーキョー」に変更、営業所も江戸川区の臨海町に移転したようで、タクシー会社としての「互助交通」は消滅しました。
その為、「GOJYO KOTSU」表記の日本交通の車両が見られたのは非常に短い期間でした。
また、営業所の解体も決まっているようで、本日業者が同営業所に入っているのを公式アカウントがツイートしています。たった数年。されど数年。あっという間です。
長い間、日産車を愛用している事業者だった互助交通。
戦後10年という1955年に20台のタクシーで営業開始した同社。「互いに助ける」という漢字から読み解くに、あの時代、まだまだ日本は大変な時代だったのだろうと容易に想像が付きます。
高度経済成長期、バブル期、失われた10年、20年と停滞期を見続けてきた同社。タクシー車両の変化もずっと感じてきていた事だろうと思います。
東京相互無線からチェッカーキャブを経て、2021年7月を持って惜しまれながら営業終了。同年12月に別法人として新たに用いられた「互助交通」も前述の通り消滅し、旧法人の有限会社互助交通が残るのみです。
なにか新しい試みを考えているそうなので、タクシー分野に関係があろうとなかろうと、今後に期待したいところです。